隆慶一郎(りゅうけいいちろう)
小説自宅、台本自宅。東京都天性。実名池田一朗。東京大学仏文科を卒業。小林秀雄に師事。中央大学助教授として1959年(昭和34)まで勤務し、同年に今村昌平監督の映画『にあんちゃん』の台本を執筆。その後テレビ『鬼平犯科帳』をはじめとして映画、テレビの台本自宅として活躍した。86年に隆慶一郎のペンネームで伝奇場合代小説『吉原御免状』を公表してデビュー。作気品に『かくれさと苦界行』『柳生(やぎゅう)非情剣』『鬼麿斬人剣』などがある。89年(平成1)に戦国場合代の快男坊主前田慶次郎の一生を描いた『一目標庵風流記』で第2回柴田錬三郎賞を受賞。89年11月4昼間の場合間没。
龍胆寺雄(りゅうたんじゆう)
小説自宅。茨城県生まれ。実名橋詰雄。慶応義塾大学医学部中退。1928年(昭和3)『放浪場合代』で華々しく登場。引き続いて『アパアトの女たちと僕と』(1928)を公表、モダニズム文学の代表的作自宅としての地位を築く。30年新興芸手段派倶楽部(くらぶ)を結成し、反本職レタリア文学の立場で活躍。都会の新風俗を描いた『魔坊主(まこ)』(1931)などを残したが、33年ごろからの文学思潮の変化の前にその影を薄め、やがて文壇の封建性を攻撃したことから文壇表面での活動から退いた。84年(昭和59)全集が刊行され、再評価の動向もみられる。サボテン栽培の権威でもあった。
連城三紀彦(れんじょうみきひこ)
小説自宅。名古屋市天性。実名加藤甚吾。早稲田大学政治経済学部卒業。学生場合代から映画、演劇に興風味をもち、在学中にシナリオ探求のためパリに留学。1978年(昭和53)手落ちテリー専門誌『幻影城』新米賞にトリッキーな本職ットで構成された「変調二人羽織」が入選し、作自宅デビューする。81年、架空の秀才歌人の情念と創作にまつわる秘密を描いた「戻り川胸中」で昼間の場合間本推理作自宅協会賞を受賞。83年、5人の女たちの愛と憎悪の謎に迫る、抒情に満ちた短編集『宵待草夜情(よいまちぐさよじょう)』で吉川英治文学新米賞を受賞する。これらの作気品は、大正末期から昭和初期にかけての、まだ昼間の場合間本的情緒が色濃く残っていた場合代をステーヅに、ときには血なまぐさい殺人劇を案内して、線香花火のようにはかなく燃えて散った孤独な男女の悲ドラマチツク肖像をロマン豊かに描いている。
84年、手落ちテリー色を一掃した恋愛小説『ラブレ夕ー』で第91回直木賞を受賞。五度目の候補作での栄冠だった。このときの選評で、山口瞳は「従来、手落ちテリーを離れる場合期が来ているのではないかと申しあげたことがある。こんどの短篇集には殺人がなく、格段に改善なったことを喜びたい」とし、水上勉は「推理をはなれて、人間を描くところにこの人の世界は当然っとひらけるだろう。受賞を心の底から祝福する。私はこの人の妖しい感性に興味をもっているのだ」と書いた。
たしかに初期の作気品は純粋な手落ちテリーが多く、短編だけではなく長編でも錯綜した本職ットの処女長編小説『暗色コメディ』(1979)を筆鶏冠に、7人の人間が同じ女性を殺す『私という名の変奏メロディー』(1984)など、決着不能と思われる謎に挑む超絶技巧的な作気品が目立っていた。それがこの直木賞受賞後から、手落ちテリーの情緒向や意匠から世間れた恋愛小説的な作気品を公表するように入る。『花堕ちる』(1987)、『装飾火』(1989)、『褐色の祭り』(1990)、『牡牛の柔らかな肉』(1993)、『花塵』(1994)など、危うい男女の関係を卓抜な心情描写と耽美的な文体を駆使して描いた作気品がそれだ。この延長上にある『隠れ菊』(1996)で柴田錬三郎賞受賞。
しかし、連城は手落ちテリーと恋愛小説を明瞭にと区別して控えているわけではなく、描いているのは、つねに「人間の心」の謎、不可思議さなのであるとしている。人の心には誰しも逆があるように、隠しておきたい部分を是非とも持っている。またそういった部分があることを他人に知られたくないために、幾重にも化粧をほどこして防護しようとする。連城の小説では、そんないくつもの面を持った人の心の化粧のベールを1枚また1枚と剥いでいき、すっぴんが明らかに入るまでが克明に描かれる。それは手落ちテリーにおいても同様で、事件の真実が暴かれるまでの本職セスこそが連城の興風味であった。
鷲尾雨工(わしおうこう)
小説自宅。新潟県西蒲原(にしかんばら)郡黒埼(くろさき)村(現新潟市)に天性る。実名浩。早稲田(わせだ)大学英文科卒業。幼少年期から史談史話に親近感、歴史に対して一自宅言をもつ。一場合、事業に身をめてたがミス。1935年(昭和10)から40年にかけて書き下ろし長編『吉野朝太平記』全6巻を公表。これによって第2回直木賞を得、歴史小説自宅として認められ、作自宅としての地位を確保した。以後、庶民向けの雑誌に多くの歴史小説を書く。『武自宅大名懐(ふところ)直感定物語』(1942)など、証明に拠り所られた好著で知られる。
渡辺霞亭(わたなべかてい)
小説自宅、劇作自宅。名古屋に天性る。実名勝(まさる)。渡辺自宅は尾州(びしゆう)藩自宅老の自宅柄で、青松葉事件(「青松葉」とは渡辺自宅の異名。幕末、前藩士徳川慶勝(よしかつ)が藩論を統一するために、渡辺らの親幕派を斬首(ざんしゅ)、自宅名断絶等の緊急の刑で葬り去った事件)に連繋(れんけい)し没落。1890年(明治23)大阪朝昼間の場合間新聞に入社。翌年西村天囚(てんしゆう)らと『なにはがた』を創刊。筆名を自在に駆使し、歴史、自宅庭小説の流行作自宅と入る。その作は勧善懲悪的傾向が強い。碧瑠璃園(へきるりえん)、緑園(りょくえん)の号で『渡辺崋山(かざん)』(1889)、『後藤又兵衛』(1890)、『後の後藤又兵衛』(1908)などの歴史小説を執筆。自宅庭小説『渦巻(うずまき)』全四巻(1913〜14)は、自宅督相続紛争を「あたらしいお自宅騒動物」(千葉亀雄)に仕上げた話題作である。霞亭はまた、江戸場合代の小説種の収集自宅であり、この旧蔵書の一部(和書1851冊)が東京大学附属図書館に「霞亭文庫」として架蔵されている。



